船の上で読書会

シュタイナーの「社会の未来」。

揺れる船の上で文字を追うのは、若干しんどい。

目的地不定、とりあえず出航。

お陰様で、横浜トリエンナーレ開幕!
やっと、スタートできました、というか、これからが本番とさらに心を引き締めて、
というか、これからどこへ行くのかよく分からないまま、とりあえずの出発。

まずは各種の申請や調整に奔走していただいた当局の方々、企画・制作を手伝ってくださった方々、芹沢さん、村田さんはじめ事務局スタッフの方々、これまでご尽力いただいたみなさまに大感謝。
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とりあえず一段落した、13号。これからの3ヶ月間、そしてトリエンナーレ終了後のまだ見ぬ展開へのスタートポイントとして、シンプルな気持ちのいい空間になったと思う。

「シンプルな気持ちのいい空間」、確かに、そうだ。だけど、それだけでは多少、むずがゆい。もう少しよくわからない、奇妙な期待感を秘めているようにも感じる。上の写真だけでは伝わりようがないが、この空間が丸ごと揺れている。建築の文法上、どうにも宙ぶらりんのわからなさもあるし、「何かが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない」という寄る辺なさもある。また完全にはホワイトキューブに守られてはいない(終わった後はどうするのか?)という現実もある。

まだうまく説明できないのがもどかしいが、既に厳然と物質的に存在するにもかかわらず、何らかの意味に定まりきってはいない、という不安定さ加減が心地よい。潜勢力と現勢力、偶然性と必然性といったことに関係してくるのだろうか。

・・・存在と非存在、可感的なものと可知的なもの、語と事物、これら二つのあいだの境界線上に姿を現すのは、色を欠いた無の深淵ではなく、可能的なものという輝く間隙なのだ。可能的であるとは、措定も否定もしないということを意味する。しかし、「存在するのが存在しないより以上のではないもの(存在するともしないとも言えないもの)」は、潜勢力といったものをどのように自らのうちに保ち続けるのか?・・・(「バートルビー 偶然性について」ジョルジョ・アガンベン)

こうした問いかけに届いているとはいえないが、自分なりのやり方で「明日素敵なことが起こるだろう、さもなくば、起こらないだろう」ということをまるごと受け入れられるような何かを、ころがしはじめられたようには思っている。

のようなことを考えていたら、芹沢さんが、展覧会カタログに次のように書いていた。

・・・だから私もここ(山下ふ頭)にいると、入国手続きをせず、空港の乗り継ぎラウンジで時間をつぶしているような、奇妙な感覚に襲われる。この感覚は私にとって、けっして不快ではない。今までの場所から離れ、ここではないどこかへ移ろうとしているという予感。あらゆる帰属意識が希薄となり、軽い胸騒ぎを覚える。私はただ乗り継ぎ便を待ちつづけるが、この旅の最終目的地がどこなのか、自分でも知らない。・・・(「山下ふ頭乗り継ぎラウンジ」芹沢高志)

いいなぁ。
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ミクストメディア

まえに、岩本くんと作品キャプションの話をしてて、13号のマテリアルの表記をどうするか話していた。「艀、ビニールハウス、砂利、鉄箱、ソファ・・・」とか「鉄、ビニール、石、木材、水、植物・・・」、どのレベルで切るにしても冷静に考えれば考えるほど、冗談にしか聞こえない。

で、徹夜の作業明け、キャプションがついた。
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・・・ミクストメディア。

た、たしかに。

しかし、このトリエンナーレでミクストメディアじゃないもののほうが圧倒的に少ないんじゃないか、と心配したりもするのだが、まあそれは置いておいて、この違和感たっぷりの感覚には、とても大切なことが含まれているようにも思う。

それから、自分でも驚いたのだが、キャプションがついた途端に、13号の「作品性」がぐぐっと保証された感じがした。逆にいえば、生々しい事実関係が妙に嘘くさいものに霞んでしまう感覚。「13号計画」というのが、半ばフィクションの世界に片足を突っ込み、自作自演の閉じた活動に見えてこなくもない。このblogでも、まあ明示的に説明をしてきたわけでもないのだが、もう少しプロジェクト全体の広がり(その輪郭は曖昧で、計画なき計画といった不透明なものかもしれないが・・・どだい「漂流」を言語的な枠組みに正確にとらえられるわけもない)を会場でも感じてもらえるように微調整をしていく必要がありそうだ。

関係ないが、準備作業をしていると、会場内で土谷くんや車田さんとすれ違い、北條さんやDidierがふらりと訪れて・・・うーん、この懐かしい気分は、3年前の京島とほぼ同じだ。

ゆっくりと、島時間。

上屋では、深夜になっても制作の追い込みの喧噪が続く。

海上の13号では、まあここでも追い込みという面ではかなりの作業が残っているわけだが、なんというか心底深刻になりきれない呑気さがただよう。深夜2時すぎに到着した岩本くんいわく、「島のような時間」。海上と会場では、微妙に時間の流れ方が違う。明け方帰り際に様子を見に来てくれた村田さんも、すっかりくつろぎモード。

が、ゆっくりと作業しすぎてしまったせいか、結局もろもろが片づいたのは内覧会のオープンする直前。

作品の搬入。

朝、8時半。谷口さんに来て頂いて、13号の移動。
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上は、13号を会場に曳航し、接岸させているところ。
言い方を変えると、展覧会場への作品の搬入風景。・・・にしては、かなり風変わり。

ところで移動中。せっかくだから会場で作業中のひとたちにも観てもらいたいと思ったが、まあ予定時間を決められるわけでもなく、朝も早いことだししょうがないかと諦めていたら、Wolfgang Winter & Berthold Horbelt のパビリオンの脇に、ぽつんと人影が。
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あの頭に手ぬぐい巻いてるように見えるのは・・・た、高野さん。な、なんで朝から一人で海眺めてるんすか・・・。
じつは遠すぎて本当に高野さんかどうかは分からないのに、絶対にそうだと根拠なく確信。いろいろなアーティストの制作アシスタントをしている高野さん(こないだまではMatthew Barneyの作品のため金沢にいた)には、デメーテルで出会って以来、唐突にいろいろなところで再会しているのだが、たぶんそういう「人柄」なのだろう。こんなところに現れるのは、この人以外にはいない。遠くから無言で手を振り合って、妙な気分になる。

無事到着してからは、引き続き作業を進める。これまでは会場から離れてたので、人通りがあるのが嬉しい。WinterとHorbelt(じつは、初対面)のふたりがやってきて、「この箱は・・・水入れるの?」。ほかにも、同じことを言っていた人もいたので、僕以外にも水を入れたくなる感じのようだ。Didierともやっと再会。

颱風、ふたたび。

ふたたび台風が接近。
午後から夕方にかけて、台風本州に上陸のおそれ。ビニールハウスが壊れないか、心配な一日を過ごす。少なくとも、オープンまではどうにかもってほしいものだ(笑)。
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が、今回は逸れたようで、夕方には晴れ間がのぞく。
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4トンで18,000円

床に敷き詰める砂利、4トンで18,000円。しかも運送料込み。しかしこのプロジェクト、単位グラムあたりの価格が異常に安い。

・・・は、いいのだが、ビニールハウスを組んでしまったいま、ダンプで注ぎ込むわけにも行かず、人力でどうにかするしかない。延々と、砂利を運ぶ一日。
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塗ったり、拭いたり、くっつけたり。

引き続き、18、19、20日も、入れ替わりで山下埠頭で作業。
気づかないうちに、連休だったようだ。。。

デッキの塗装、ビニールハウスの掃除、鉄の溶接などなど。

13号の天井は、4m以上ある。はやく、足場を取って、その空間を見てみたい。

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古川くんに作ってもらった鉄の箱に、寝てみる。

アートサーカス!

いよいよ開幕の横浜トリエンナーレ、9月28日からはじまります。
みなさま、ぜひ足を運んでみてください。
http://yokohamatriennale.jp/2005/

美術手帖も、でています。
美術手帖 10 月号 [雑誌] 特集 「横浜トリエンナーレ2005 東京・横浜アートガイド&マップ」 (仮題)

さて、制作の大きい山は越え、あとは細かいところを詰める段階になってきたところで、だんだん気持ちに余裕もでてきたのだろう、「アートサーカス」というテーマに改めてわくわくしてきた。
(ほんとうは、まだまだ気が抜けないのだけども・・・)

ふと見回してみると、僕らの他に80以上の作家が様々なプロジェクトを展開しつつある。作家という立場からは、それは自明のことなんだけど、自分の中にいる「作家じゃない自分」、つまり、いち生活者/鑑賞者としての視点から我に返ると、この展覧会場は一種異様な光景だ。まあ、そんなこと言ってどうする、って話だけど、会場が山下埠頭という特殊な場所だからだろうか。作家としての自分にこっそり寄生して運ばれてくる「作家じゃない自分」にとっては、この展覧会場は鮮明に日常世界の拡張で、むしろその「作家じゃない自分」がどう揺らめくのかを考えていた方が、この3ヶ月を楽しめるのじゃないか。ダニエル・ビュランの旗があがった会場入り口の様子を遠巻きに眺めながらそんなことを思い、途端にわくわくしてきたわけです。こんな感覚がふと訪れるのも、この横浜トリエンナーレが、一般的な美術展とちょっと違うところかもしれない、と思ったりも。

付け加えるなら、それは美術に日常を持ち込むといったことを言っているのではなくて、逆に「アートサーカス」に浸食される自分の日常的な身体のほうへの興味。その先の希望としては、いっぺん素の身体を通したさまざまな影響を、13号の中へも環流させていけるといいと思っています。

農業な感じ?

梅屋幸さんから、オオヌキさんとイトウさんに来ていただいて、本格的にビニール張り。
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ビニール・ハウジング

週末は、ビニールハウスの組み立て。
パーツの機能を解読しながら、少しずつ。
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着工!

再度、山下埠頭へ13号を移動してもらって、今週からいよいよ工事スタート。

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ボーディング用デッキの鉄骨が組まれつつある13号。

13号の屋根は、ビニールハウス。その取り付け強度がどれくらい確保できるのかがずっと課題になっていたのだが、この日、井出さんが梅屋幸さんという農業資材屋さんを探しあててくれた。夕方、寒川の会社まで足を運んで相談したところ、いろいろとアドバイスに乗っていただけけることに。(コストについても、相当協力していただけるようです。本当に大感謝!)

ビニールハウスを建て続けて40年のベテランスタッフの方いわく、「いろいろなところにハウスを建ててきたけど、船の上っていうのは、初めてだなぁ」と嬉しそうに。不思議なもので、そんな表情を見ていると「どうにかつくるしかない」と勇気づけられてくる。まことに心強いかぎり。

水に浮かぶ鉄の箱

13号を山下埠頭に連れてきてすぐ、太郎や明やQ才や徹一や福島くんらとともに横浜を歩き、その足で13号を見に来たことがあるのだが、その時の13号は、あまりに実体感の溢れる鉄の塊だった。生々しく、海の上に浮かんでいる物質。これもある種の「空間」と思うと、常識の底が、ぐらりと揺すられる気分。

ふだんは、艀とはそういうものとあたりまえに認識しているから気にならないのだけど、違った気分や文脈でこれを眺めなおすと、どこかどすんと異常なところがあるのは間違いない。たぶんトリエンナーレにやってきた人も同じようなシークエンスで13号に出会うわけで、その日以来、この「水に浮かぶ鉄の箱」感を、できるだけ殺がないことが自分の役目のように感じている。つまりある意味引き算の設計。さてどこまでそれが実現できるか。まだよくわからない。

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写真は、その日福島くんの撮った13号。