英語版都市河川クルーズ

2012年4月28日13:30〜15:00まで日本橋桟橋から神田アイランドを一周+浅草、北十間川を経由するクルーズを開催した。主催は東京に30年以上在住の米国人カレンさん。4年前に横浜で始めた「YOKOHAMA Canal Cruise」に参加いただいて以来、リピーターとしてBPAクルーズに参加いただいている方である。まだ誰も工場クルーズや運河クルーズなど誰もやっていない頃に試行錯誤で始めたBPAのクルーズに小雨交じりの中一人で参加してきたのだ。あの時はまだ始めて3回目のクルーズで中止するべきか否かとても迷うようなコンディションであった。その時参加いただいた方々には今でも参加いただいている。とてもありがたいことです。今ではだいぶ運営に慣れてしまってあの頃の冒険心が欠けてしまっているのではと思うことがある。初心忘れべからず。

さて、常連のカレンさんずいぶんと東京横浜の水辺には詳しくなっており、いずれは英語版クルーズを企画してみたいと思っていたようだ。今までは日本人でも解りづらい場所にしか桟橋がなかったのだが、日本橋桟橋が設置され誰もが参加しやすい状況が整備されてきており、まさに機が熟したという状況である。初夏の陽気のようなこの日、30人満席でご案内できた。カレンさんの手の込んだ手持ち資料、イベントフライヤー、こなれたガイド裁きで10代から80代の在日の方中心に楽しんでいただけたのではないだろうか。岩本が作ったこの隅田川界隈の浮世絵のパネルも楽しんでいただけたようだ。
乗船後は日本橋の袂にある川に面したオープンカフェへ。14時から16時の間はドリンクがなんと300円になってました。意外なところに穴場はあるものですね。
強い日差しの中、参加の皆様お疲れさまでした。

英語版都市河川クルーズ

第7回 横浜市都市デザイン研究会のご案内

主催 横浜市都市デザイン室
日時 3月19日/18:30〜20:30
場所 横浜市開港記念会館1号室

横浜市役所の職員向け研究会を一般に公開します。今回「横浜の水辺」についてBPAの活動実績や他都市事例を交えながら公共空間の管理者である職員の皆様と議論してゆきたいと思います。水辺・水面利用の話はまさに公共性の話に繋がります。パブリックスペースのあり方について広く議論できればと思います。ご興味ある方はぜひご参加ください。今回は昨年3月にBankARTで開催された「これからどうなるヨコハマ研究会」に参加した岩本、山崎でお話させていただきます。

THE OTHER SIDE OF TOKYO 東京漂流 「勝又邦彦×BPA写真ワークショップ」


2011年12月18日に日本橋Satoshi Koyama Gallery 主催による船を使った写真ワークショップが開催された。都市の風景や夜の水辺などもテーマに撮影されている写真家 勝又邦彦氏を講師に、多摩美術大学教授の港千尋先生をゲストに迎え、BPAにて都市の水辺をナビゲートするという新しい試みである。年末の忙しく寒い時期にもかかわらず、25名ほどの参加があり盛況であった。天気も快晴かつ無風であったため、水面は鏡のようにフラットであり冬の澄んだ空気と夕刻の美しい光の中、水面から見る東京を堪能出来最高のコンディションでした。

まずはギャラリーに集合し、主催の小山氏より企画趣旨の説明、BPAにて東京の水辺やコースについての説明。勝又氏から船上での写真テクニックについて
のオリエンテーションを行った。その後日本橋桟橋に移動しいよいよ出航。
コースはギャラリーから徒歩5分の4月より開設された日本橋の商用桟橋から乗船し日本橋川、神田川を経由、隅田川から勝どきの朝潮運河を抜け、日の出桟橋をかすめ、芝浦運河に入った。最後に芝浦埠頭のLOOPの中の艀溜まりを堪能し、天王洲を経由し北品川に着艇した。ちょうど日没を迎え、刻々と光が変わる湾岸風景を撮影出来たのではないだろうか?都市河川のようなヒューマンスケールな空間から湾岸のダイナミックな風景まで盛りだくさんのコースレアウトとしたつもりだ。

その後日を改め2012年1月22日に参加者によるプレゼンが行われ、勝又氏、港先生に講評いただいた。途中勝又氏のフィルムによるパノラマ写真を紹介したり、BPAによる都市河川の紹介やBPA常連で動画を撮影いただいている@mechapanda氏による動画レクチャーをなども交えながら開催した。
当初同じ船からだとどれも似たような視点になってしまうのではとの懸念があったが、みなさん独自の視点で風景を捉えていて思いの外バリエーションに富んだプレゼンを見ることが出来ました。都市の裏側である人気のない水辺に生活の痕跡を探す人、水面の光の反射を拾う人、ダイナミックなアーバンスケープに萌える人、自分の過去の体験を風景に重ねる者・・・
印象的だったのは川を三途の川に見立て、現世をカラー、あの世をモノクロで表現したプレゼン。川を航行する船はあの世への旅立ちであり、橋から船に手を降る人が多いのはそのためかもと。同じレイヤーに属する場合見ず知らずの人達に手を振ったりしないものね?船はあの世への違うレイヤーであると解釈すると納得しやすい。いつか夏の世に皆で白装束で乗船してみるか。帰ってこれなさそうだが(笑)

今回日本橋のギャラリーという立地特性を活かし、日本橋発のクルーズという水上でのアクティビティーと陸上でのアートというアクティビティを繋ぐ試みであった。次回コースを変えまた開催できたらと思う。
尚、2月25日よりSatoshi Koyama Galleryにて港千尋先生と勝又邦彦さんのキュレーションによる写真家や美術家による風景展が企画されるようだ。これは楽しみだ。詳しくはこちら →連続展「風景考」

◆参考:参加者による当日のBLOG
    参加者BLOG2

神田アイランド一周クルーズ@日本橋桟橋

報告が遅れて恐縮ですが、今年は4月にオープンした中央区が管理する観光船用の日本橋桟橋を利用して日本橋川と神田川、隅田川で囲まれた神田アイランドを巡るクルーズを数回実施しました。7月に映像作家 野田真外との共催による「東京静脈クルーズ」を、10月にBPAによる「FRIDAY NIGHT Cruise」を開催。いずれも盛況で参加いただいた皆様には大変感謝しております。さすがオフィスと商業施設が密集し交通の便が抜群に良い日本橋の橋詰に新設されたポンツーン式の商用桟橋は使いやすいですね。金曜日の夕方でも無理なく企画できます。クルーズ後飲食できる店がふんだんにあるのも魅力ですね。ただ、僕ら以外の企画クルーズ船や定期クルーズ船も数多く利用しているので、桟橋は大混雑です。日本橋川クルーズについては今年から完全にメジャーの仲間入りですね。どこの船も盛況のようですが、それぞれのカラーをはっきりさせていくことが必要かと思います。

金曜ナイトクルーズは2回開催したのですが、日本橋、秋葉原の万世橋、水道橋周辺以外は平日でも都市河川の周りの建物には人気がほとんど無かったのが印象的。まだまだ裏なんですね。それと311以降消灯されている神田川や隅田川に掛かる橋のライトアップがまだ復活していなかったのが残念。(11月中旬よりライトアップ復活した模様)
そんな中でも秋葉原の駅前に立地し神田川に面する秋葉原ワシントンホテル2階のテナントテラスが竣工後1.5年経って、やっと認知されてきた様子。テラス席が十分使われており感激しました。日本橋川クルーズが認知され始めたのと並行して、神田川の楽しみ方も市民権を得てきた表れではないでしょうか?駅前にこんな開放的なリバーサイドテラスがあることがだいぶ地域に浸透されてきたのでしょう。船が通ると皆手を振ってくれます。船側から見ても、人気の無い都市の裏側から賑わいが生じているエリアを通過すると気分が高揚するものです。テラスは川と陸の双方にメリットを生み出す最もプリミティブな建築的仕掛けといえるでしょう。
都市に関心の高いBPAが都市河川クルーズを4年も前から始めたそもそもの動機は、ほとんど知られていない都市の裏側を水路という低い視線からリサーチしたいというシンプルな欲求の先に、いずれは水辺の空間に具体的に影響を与えていきたいとの思いを強く持っていたからです。秋葉原のリバーテラスについてはBPA山崎が所属する会社の仕事として設計を担当したという偶然が奇跡的に重なって実現したのですが、水面利用のアクティビティーが水辺の建築の事業性とリンクしていく可能性があることをもっとアピールしていかないといかんなと改めて思った次第です。

そんなこともあり、今後も都市河川クルーズは続けて行きたいと思うのですが、今後はより陸側の空間との連携を意識していきます。手始めに、BPA岩本の発案により日本橋桟橋を使った企画に桟橋から徒歩10分程に立地している今年からオープンしたSATOSHI KOYAMA Galleryとも極力連携していこうと考えています。前回のクルーズの際にも10人ほどの方に立ち寄っていただきました。
オーナーである小山聡氏は以前よりBPA墨屋のアート仲間であり東京アートポイントの際には会計を担当していただいたBPAの良き理解者です。MBAも所得している若きアート愛好家であり、ぼくらと同様、生業とは別に週末のみ開店させている夢の詰まったスペースです。何が出来るかわからないがあらゆる偶然を利用して水辺の可能性を実験して行きたいと思いますので、参加のみなさまからもご意見いただければ幸いです。

関連blog:アキバリバーサイドテラス@神田川

お馴染み@mechapanda 撮影映像。なんと美しい都市河川の夕暮れでしょう。刻々と光が変わります
第1便

第2便

YOKOHAMA Canal Cruise 2011@ 関内外OPEN!3


今年で4年目となるYOKOHAMA Canal Cruise 2011は11月3日、5日に今年で3年目となる関内外OPEN3の一環として開催しました。計50人(全コース完売!)の参加をいただき、両日とも天候に恵まれ無事開催することが出来ました。参加のみなさまをはじめ、E-BOATと桟橋使用に協力いただいた大岡川川の駅運営委員の皆様、運営に協力いただいた横浜の水辺仲間である檀原さん、糸井くん、丹羽さんには大変感謝しております。
さて、今年はより多くの船着場を利用してみることで街や駅からのアクセス、桟橋周辺環境を体験いただき舟運へのアクセスポイントの現状を体感いただくことを目論みました。瑞穂橋袂に立地するBar Stardustの下のミニマリーナUY FLAG、横浜市港湾局の社会実験中である象の鼻パークビジターバース、川の駅である大岡川 桜桟橋などを積極的に利用し、小型船利用による他拠点ネットワークをイメージしながらのクルーズを行いました。
クルーズコースには数多くの歴史の履歴を見ることができ、古くからの漁師町である子安浜や日本3大ドヤ街である寿町など、船からのアクセスに向いた街が数多くあることもご理解いただけたかと思います。
また、去年に引き続き横浜駅周辺再開発である「エキサイトよこはま22」エリアの運河である帷子川クルーズに今年もトライしました。横浜最大の繁華街に接していながら、現状全く利用されずにいるこの運河もかつては横浜発展の中で無視できない役割をになっていました。この隠れた都市資源を活用しない手はありません。簡易な桟橋を設置するだけで大きな可能性を秘めたエリアとなるでしょう。現状では全く陸からのアクセスができないため、動力船とE-BOATを組み合わせ、はるばる黄金町からアプローチしました。
このようなリサーチクルーズを介してリアルに水路を利用することで、具体的かつ現実的な水辺利用のビジョンを提示共有することが本企画のミッションであり、今年2,3月にBankART1929で開催されたまちづくり研究会「これからどうなる?ヨコハマ」水辺班のアクションプランの一例でもあります。

YOKOHAMA Canal Cruise 2010 の記録

◆クルーズ映像記録
コース#2 PHOTO (本牧、磯子、掘割川、大岡川)

YCC2011コース#2

コース#3 PHOTO (大岡川、万国橋、帷子川)

YCC2011コース#3

お馴染み@mechapanda こと中井氏の動画記録
コース#1 (東神奈川、瑞穂埠頭、子安浜、コットンハーバー、大岡川、中村川、新山下)

コース#3

東京花見チャリティークルーズ2011


この度、東日本大震災で被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げると共に、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
当初から予定されていた東京花見クルーズでしたが、イベント告知当日に震災に見舞われました。開催の中止も検討しましたが、自粛より前向きな姿勢が重要ではないかとの判断により4/2の竪川・大横川、4/9の目黒川と2回にわたり花見を兼ねたチャリティークルーズを開催しました。結果的に多くの方にご支持いただき、計115名もの方に参加いただきました。参加者1人につき500円を東日本大震災への義援金として、500円×115名=57500円の他、共催者である(有)グラナーテの野田真外の「東京静脈」DVDの売上6000円を合わせた63,500円を津波で壊滅的な被害を被った漁業支援を対象にした「がんばれ漁業募金」に野田真外から一括して4/12に振込にて寄付させていただきました。参加の皆様には改めて感謝いたします。

4/2のクルーズでは大潮の干潮というタイミングを狙い、低い橋の多い高架下水路を航行という貴重な体験に成功しました。しかしながら晴天ではありましたが桜は開花し始めたところでありほとんど見ることはできませんでした。テクノスケープから桜並木へのシークエンス体験は残念ながら不発に終わりました。対して4/9の目黒川では小雨のぱらつくコンディションでありましたが、桜は見事に満開であり、素晴らしい日本の美を堪能出来ました。天候が芳しくなかったためキャンセルも出ましたが、雨の中57名も参加いただけました
今回東京の桜祭りはすべて中止という中での花見クルーズでしたが、その後チャリティーという形でのイベント開催が多く見られるようになり、結果的には開催して良かったと思っております。
震災復興は始まったばかりであり今後も継続的にこのような形で都市の水辺の楽しみを継続開催していきたいと思います。末長いご支援をよろしくお願いいたします。

● 4/2クルーズのTwitter実況中継

● 参加者の動画記録

一連のバージ船リノベーションプロジェクトを振り返る7

バージ船が陸地に係留されているさま

水辺に船を係留するというのは、想像するより簡単なことではない。係留するためには係留杭、係留用のビットが必要で、さらに円滑に乗り降りするためには浮き桟橋で潮の満ち引きと連動することが望ましい。
バージ船をもつまではそんなことすら僕は知らなかった。船が護岸に接岸するためにロープ(もやい)がどんなに重要な役割を果たしているのか、建築の世界からはわからない。
たとえば隅田川を見渡してみても、コンクリート製の護岸が整備されてはいるが、係留する施設はほとんどない。都市計画家なら、「親水空間」と呼べるのかもしれないが、BPA的には借景的親水空間でしかない。

われわれがLOB号を係留させようとしている都市はそんな現状だ。

阪神淡路大震災において水運が重要な役割を果たしたとシンポジウムで聞いた。しかし、一方で都市の水辺に係留する場所がなければ、その果たすべき役割は果たされないのではないか?そんな疑念が湧いてきた。

LOB号がもし、そういう震災に遭遇してたまたま被災しなかったとして、どのような役割を果たすのか?そんなことに興味が湧いてきたのが2006年夏のことである。

メンバーミーティングにて、今後防災のためのLOBの研究を行うことを提案した。もちろん異論もあった。われわれ自身が被災経験や災害救援の経験がないことが一番気にかかることであった。しかし、気が付いてしまった以上、やらないわけにいかないし、自分たちの生き抜く術、サバイバルに興味が湧いてしまった。

私たちは、都市で漫然と生きている。水は蛇口をひねればやってくるが、自然界において、こんな場所は珍しい。しかし、災害後の都市は砂漠のように水場のない場所だ。都市インフラから隔絶された水辺もまたそんな場所だ。

アンプラグド。

生き抜くすべをしらない都市民であるわれわれBPAメンバーが水上でどうサバイバルするのか。そのために必要なことはなんなのか?船はだいたい自立的なエネルギー源をもっている。航海するために必要なエネルギーと水を積んでいる。インフラと必ずしもつながっている必要はない。

一方、LOB号はトリエンナーレの時、陸上の電力コンセントにつながれていたが、これでは、災害の時役に立たない。

LOB号はトリエンナーレでは農業用ビニールハウスに覆われていたが、夏場は室内温度が40度以上になってしまうので、5分となかにいることはできない。また、都市河川の多くの橋をくぐることもできないので、アクセスできる水面が限られてしまう。

LOB号も改造しなくてはなるまい。そのためのプロジェクトを立ち上げることにした。

七部終

六部
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三部
二部
一部

一連のバージ船リノベーションプロジェクトを振り返る6

新木場という新しい母港ができた2006年の春、BPAは今後の活動についてじっくり話し合う機会ができた。いまから考えるとずいぶんのんきな話だが、毎月毎月係留料を支払っているにもかかわらず、先はまったく決まっていなかった。ただ、トリエンナーレというチャンスをいただいた僕らは、そこで蓄積したものをそのまま放棄してしまう訳にはいかないと思っていた。

トリエンナーレからさかのぼる事半年、2005年3月にBPAはBankart1929にて、「Floating CAFE!! バージ船とテクノスケープから考える水上空間」というテーマでシンポジウムとパーティを実施。BOAT PEOPLEの考える「水上経験」という視点から、運河に面したBankART NYKの活動を水面に広げて行くための提案を行った。そのとき、「バージビレッジ構想」という提案を行った。異なる機能をもった船がたくさん集合することによって水上の村を形成し、それぞれがお互いを補完し合って魅力を高めるという提案である。トリエンナーレの提案もその延長上にあったといっても過言ではない。

バージビレッジ構想 さまざまな機能をもった船が集まる。畑船、露天風呂船、バスケットコート船など

トリエンナーレ終了後、われわれのLOB号がバージビレッジの一角を担うとして、どのような機能をもたせると、世の中に求められている機能を満たすことができるか話し合ったのである。

事務所船


まず、自分たちの投資に対していちばんリスクを分散できる形が事務所にすることだと思った。しかし、問題がひとつ。係留場所が公共水面の場合(多くの河川運河がそうである)、かなりの確率でそもそも係留が許されない。ダマでやったら本業の方が打撃を受ける。本業が一級建築士の私にとっては、日々きびしくなっていくリーガルリスクはさけなければならなかった。

公園船


公のためになる機能を盛り込む場合、公園という回答はあり得る。しかし、役所が財政的に苦しい昨今の状況を考えると、新たに管理コストのかかるヘンテコな船を持つという選択はないに等しい。

ファッションショー


ブランドの発信力を高めるために、あえて少人数で限られた人々に対して水上のファッションショーを開催する。おそらくメディア露出度は高くなるはずだ。テンポラリーであるという時点で実現度は高いが、読めないコストと読めないリスク管理がネックか。

美術館船


グッゲンハイム財団のように世界中に美術館を建設させなくても、世界中に影響力のある美術館をつくることができるという提案。

いずれのスケッチも、実現性に乏しく現実に即していない、という事実をようやく理解し始めていた。公共性とはそんなに生半可なものではない。

時はすぎ、議論は煮詰まり、2006年夏頃まで塩漬けにされた。

そしてこのスケッチをネタに行われた逗子でのミーティングにおいて、新たな方向性をもたらされた。

バージ船が陸地に係留されているさま

六部終

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五部
四部
三部
二部
一部

一連のバージ船リノベーションプロジェクトを振り返る5

2005年12月21日、3ヶ月にわたって開催された横浜トリエンナーレは終了した。

国際貨物が国内に入る前に検査されるために保管される保税倉庫という、どこに属しているのかわからない場所で開催されたアートイベントは、強烈な印象を残してサーカスのようにどこかに消えていった。

われわれもLOB号を山下埠頭の反対側に曳航し、2006年をそこで迎える事にした。

メンバー(当時)とLOB号

解体するための見積もりは50万程度だったように記憶している。平行して船を係留できる場所を探してもらっていた。いくつか候補があがったが、どこも受け入れてくれなかった。

陸地からアクセスしやすい場所、イベントなどがやりやすい場所など、探してみると意外なほどない。あったとしても、橋をくぐれなかったり、了解してもらえる見込みがなかったり。

当時、運河ルネッサンス協議会という制度が東京でスタートしていた。

運河の利用方法について、民間の意見をとりまとめるための任意の組織で、芝浦、天王洲、朝潮などで活動を行っている。海外のまちづくりの事例における、コミュニティボードのような存在の組織で、ここでの議決を行政は判断基準として活かすものとしている。あたらしい取組みがおこりやすいように、市民の意見を集約するための組織であるともいえよう。

こういった取組みもあることで、どこかのまちに拾ってもらえると期待していたのかもしれない。しかし時間切れはすぐやってきた。新山下の係留場所は2月中には撤収しなければならなかった。

結局次善の策ではあるが、新木場の沖合に泊めさせてもらえる場所をいただいた。港湾工事業者さんのご好意である。

新木場の沖合の係留場所 たまたまLOB号が映っている

しかし、問題があった。沖合だと風強く、現状の農業用ビニールハウスだと係留できないと意見をいただいた。そこで、そのビニールハウスを撤去し、単管足場で仮設の屋根をもうけることとした。その工事に30万かかるが、我々全員で負担する事にした。さらに、係留するために月額4万かかるが、それも我々全員でワリカンで負担する事にした。

そこまですることにしたのは、いま係留する場所がなくても、運河ルネッサンスの盛り上がりや港湾オープン化の流れでいずれ係留できるようになり、LOB号が活躍する場がそのうちできるだろうという打算があったからだ。

屋根をかけかえたLOB号が横浜新山下を出航し新木場に向かうところ。


トリエンナーレスタッフが見送ってくれた


新山下沖合のLOB



羽田空港沖を航行するLOB


係留場所に到着したLOB号

一方、この航海で、あらたな魅力も発見する事となった。それは港湾の素の状態そのものの魅力である。あらゆるものが初めて見る光景で、新鮮だった。われわれは船から必死に見るものをカメラに収めて行った。




五部終

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四部
三部
二部
一部

一連のバージ船リノベーションプロジェクトを振り返る4

シンポジウムに先立って、東京から平生さんがご自身の船グランドバンクスに乗ってやってきた。画期的なことだ。船で自由に行き来できる海。バージ船に横付けされ係留されたクルーザー。当たり前の事に思えるかもしれない。

しかし、その非日常さに気がついていたの人はあの会場にどのくらいいたであろうか?水辺の問題はそれくらい根深いとも言える。

横浜トリエンナーレ2005がおこなわれた山下埠頭は、国際貨物物流の重要拠点で、ふだんは一般のひとが自由に入れる場所ではない。陸地ももちろん、水面も本来であれば港長権限で立ち入りが厳しく制限されている場所だ。
そこにクルーザーがやってきて、ひょいっと会場に入ったことのすごさを実感した我々は、シンポジウムがすごいことになると期待した。芹沢さんがわれわれに期待した事の一端がわかったような気がした。

パネリスト:
田久保雅巳(マリンジャーナリスト会議議長、KAZI編集長、(株)舵社常務取締役)  
難波喬司(国土交通省関東地方整備局空港港湾部長) 
平生進一(三菱地所(株)住宅開発事業部商品企画部長) 
芹沢高志(P3 art and environment、横浜トリエンナーレキュレーター) 
村野義哉(海小屋MANAオーナー)
二瓶文隆(東京都中央区区議会議員)
井出玄一他 BPAメンバー
すべて当時の肩書き

水辺の現状について

シンポジウムで話題になったのは、いかに水辺が放置されているかという事だった。われわれの問題意識は、フェンスで囲われてしまった水辺、水上からアクセスできない護岸だった。当然水で遊ぶプレジャーボートの目線の平生さんや田久保さんからは、東京にボートの目的地がないことを憂う意見が出された。

震災時の代替輸送手段として

阪神淡路大震災の水上交通の教訓の話が難波さんや二瓶さんから出された。震災時、陸上輸送が倒壊したビルなどによって寸断され、水上輸送が見直されたという視点である。大震災において17の臨時航路が開設され、多くの人の輸送に役に立ったという。

神戸市役所 震災記録写真より転載

衰退しつつある水上輸送が代替輸送手段として有効だったというのは意外な視点だった。
その後の活動に多くの示唆を与えてくれたとふりかえると思えてくる。

あたらしい海の家のかたち

われわれが海小屋MANAのオーナー村野さんを呼んだのには訳があった。葉山の一色海岸にある夏の海の家は、単に海水浴客のための遊戯施設としてではなく、夏だけその場所に現れるコミュニティそのものを体現した象徴的な場所である。

umigoya MANAにてミーティングするBPAメンバー2007.07.16

ここの場所を「夏だけ現れる自分のリビングルーム」と評したのは常連で後にメンバーとなる墨屋だった。多くの常連客が自分の生活の一部としてこの海の家を利用し、地域の価値を支えているという現状があるという。

公共空間で海が眺められて、ゆったりくつろぐことができ、多くの人に愛されているこの場所はわれわれの実験の先行事例としてはぴったりだろう。思った通り、村野さんがそのことをきちんと会場に説明してくれたことは、われわれとしてはよかった。多くの人が海の家にそんな意味があったのかと思ったはずである。

その場でやはり感じたのは、閉塞感がただよう水辺の状況をどうにもできない個々人の不満や、われわれのような観測気球的なイベントに対する期待であった。今後につなげて連携する事を誓って閉会した。

四部終

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三部
二部
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