一連のバージ船リノベーションプロジェクトを振り返る2

photo by satoshi asakawa

横浜トリエンナーレ2005は夢のような時間だった。

毎週の定例が水の上で行われたのだから。

確かに最初は浮かれすぎていたのかもしれない。外からながめて、中に入って、来場者の顔をながめ、なんだか落ち着かなかった。しかし時間が経つにつれ、メンバーは夜な夜な仕事場からの帰り道により、船の上でこの船が何を意味するのか話し合ったものだ。

実質的にわれわれをトリエンナーレにむかえてくださったP3芹沢高志さんとのコミュニケーションもとても有意義だった。芹沢さんはわれわれのようなミニミニデベロッパーのような小さな集団がこれからの都市を変えて行くんだと話してくださった。とても勇気をいただいた。ジョージ・ダイソンのバイダルカの話や、スアダ・カピッチのサラエボのサバイバルの話を船の上で聞けた事ことはぼくにとってとても有意義な事だった。できあがった制度に頼らず、でもたくましく使いこなし生きて行く都市サバイバーや都市ミニデベロッパーの将来像を、都市といったん隔絶した水の上で話をしたのだから。まるで自分たちもそんなヒーローたちになれたかのような錯覚におちいった。そう、自分たちが水辺、東京、横浜の水辺のありようを変えなければならない、そう思った。



船のなかでは活発に議論がかわされていたように思う。陸側からは「あれはなんなんだ?」と思われていたようだ。陸地の上のトリエンナーレとは別の時間が流れていたのかもしれない。想像を超える事ができない境界線もあったのかもしれない。しかし、そのコミュニケーションの中でわれわれはその後の活動にかけがえのない関係をさまざまなひとたちと結ぶことができた。

この船は、係船後も微細な更新が行われて行った。

なにより、坂倉がビデオを編集してきてくれて、船内にモニターがセットされると、それまでのふわふわとして認知が人任せな空間が突然ドキュメンタリーの一部になり、メッセージ性が強いものとなった。

フェンダーとしてくくりつけられていたタイヤはほんとうによく脱落したものだ。

忘れた頃にやってくる台風にも脅かされつづけた。気象情報はいままでにないぐらい確認を繰り返した。何度となく、ビニールハウスのビニールをやぶって、台風に備える事を考えた。幸い、そのような事態になることはなかったが。

陸にありつづける建築の永続性(に感じる人間の認識不可能性)と船の自然環境の中でのはかなさとの対比は想像以上で、数週間前に竣工した船はどんどん老朽化していった。横浜の港内の波も想像以上で、多くの来場者が船酔いで退場を余儀なくされていた事もまた事実である。

会期はもうすぐ終わってしまう。
この船はどうするべきなのか、われわれはどういう活動をこれから行って行くのか?そんな議論が活発に行われた。まずそのために必要なのは、この船を係留させる場所であった。しかし、これが難問だった。

二部終

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