一連のバージ船リノベーションプロジェクトを振り返る3

横浜トリエンナーレ2005終了まで1.5ヶ月を切ったなか、われわれはまだ結論を出せずにいた。

われわれは、この船の処遇について悩んでいた。

進むべき道は二つ

・LOBを保有し続け、どこかで係留できる場所を探す。
・きっぱりとあきらめ、LOBを廃棄処分とし、別の活動形態を模索する。

さまざまなコネをつかって、LOBをどこかに係留する可能性を探っていた。実は国土交通省の部長さんとお話ししたとき、そのとき「港はオープンにするということが政策的に決まっている」と聞いていた。横浜のアートの団体や、東京の行政区の議員など相談できる相手もたくさんいた。観光を課から部に格上げした東京都産業労働局では、たてわりが続いていた河川局と港湾局を統合して新しい水辺の秩序をつくると勢いづいていた。
そのときは、この船を係留して永続的に半公共的なスペースとしてやっていくことの可能性は高いように感じていたのだ。

ライブペインティングの様子

当時、オルタナティブスペースという考え方に傾倒していた。

オルタナティブスペースとは、1970年代にアメリカの小ホールがはじまりの、狭義の美術を目的としないスペースのことらしいが、2000年代に商業主義でも、私的でもない文化的ななにかを目指したスペースをそのように呼び、その可能性を多くの人々が探っていた。我らが坂倉杏介もBPAとは別の活動において、現在「芝の家」を運営し、またかつては「三田の家」をたちあげ、当時はその可能性を探る立場でもあった。筆者イワモトもCET(セントラルイースト東京)のディレクターの一人であり、街の中にアートが散らばって行くなかで、自分の家が起点となって新住民と古参住民が交流するさまを体験していた。

われわれの活動は、普通の企業のように水辺の上でなにか営利目的の事業をやることが目的ではない。それでは、ただ単に新規参入をめざし、既存の仕組みと対立するエンタープライズとなってしまう。一方で、私有を高らかに宣言して、公共性の高い水上空間を占拠することには反対している立場でもあった。よって、われわれがもし、船を係留できた場合、それは「オルタナティブスペース」となり、たくさんの人々が運営に携わり、ともに利用する空間になるのではないかと考えたのであった。

水上は公共空間である。

あたりまえのことである。なかには私有を前提とした水上空間もなくはない。しかしながら、日本において、水上には占有権はなく、使用権もほとんど法が定められる前からの既得権者のために細々と暗黙のうちにみとめられてきたにすぎない。つまり、公共の用に供するための空間ではあるが、公共でないものがそこに業をなすために居続ける権利は実は定まっていない。

とどのつまり、港長とよばれる強大な権力者=行政機構(≒公共)の裁量にゆだねられ(港湾エリアに限るが)つまり、既得権者と行政機構以外が自由に利用する余地はあまりない。実際、業として造船をやられているような会社も、港長権限をふかざす港湾行政には困っているそうだ。そのような話を舟運業者から聞いたのは一度ではない。

しかし、当時はそこまでの厳しい認識はなかった。私たちは新しい「公共性」を定義しなければならなかったが、定義できるという不思議な自信もあった。その自信には人々がオルタナティブスペースを求めているという認識があった。それゆえ、自分たちが船を持ったとしても、公共性を帯びた水面に係船できる可能性は高いと感じていた。

その「公共性」を定義するために、必要だったのが船上シンポジウムである。

三部終

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