一連のバージ船リノベーションプロジェクトを振り返る4

シンポジウムに先立って、東京から平生さんがご自身の船グランドバンクスに乗ってやってきた。画期的なことだ。船で自由に行き来できる海。バージ船に横付けされ係留されたクルーザー。当たり前の事に思えるかもしれない。

しかし、その非日常さに気がついていたの人はあの会場にどのくらいいたであろうか?水辺の問題はそれくらい根深いとも言える。

横浜トリエンナーレ2005がおこなわれた山下埠頭は、国際貨物物流の重要拠点で、ふだんは一般のひとが自由に入れる場所ではない。陸地ももちろん、水面も本来であれば港長権限で立ち入りが厳しく制限されている場所だ。
そこにクルーザーがやってきて、ひょいっと会場に入ったことのすごさを実感した我々は、シンポジウムがすごいことになると期待した。芹沢さんがわれわれに期待した事の一端がわかったような気がした。

パネリスト:
田久保雅巳(マリンジャーナリスト会議議長、KAZI編集長、(株)舵社常務取締役)  
難波喬司(国土交通省関東地方整備局空港港湾部長) 
平生進一(三菱地所(株)住宅開発事業部商品企画部長) 
芹沢高志(P3 art and environment、横浜トリエンナーレキュレーター) 
村野義哉(海小屋MANAオーナー)
二瓶文隆(東京都中央区区議会議員)
井出玄一他 BPAメンバー
すべて当時の肩書き

水辺の現状について

シンポジウムで話題になったのは、いかに水辺が放置されているかという事だった。われわれの問題意識は、フェンスで囲われてしまった水辺、水上からアクセスできない護岸だった。当然水で遊ぶプレジャーボートの目線の平生さんや田久保さんからは、東京にボートの目的地がないことを憂う意見が出された。

震災時の代替輸送手段として

阪神淡路大震災の水上交通の教訓の話が難波さんや二瓶さんから出された。震災時、陸上輸送が倒壊したビルなどによって寸断され、水上輸送が見直されたという視点である。大震災において17の臨時航路が開設され、多くの人の輸送に役に立ったという。

神戸市役所 震災記録写真より転載

衰退しつつある水上輸送が代替輸送手段として有効だったというのは意外な視点だった。
その後の活動に多くの示唆を与えてくれたとふりかえると思えてくる。

あたらしい海の家のかたち

われわれが海小屋MANAのオーナー村野さんを呼んだのには訳があった。葉山の一色海岸にある夏の海の家は、単に海水浴客のための遊戯施設としてではなく、夏だけその場所に現れるコミュニティそのものを体現した象徴的な場所である。

umigoya MANAにてミーティングするBPAメンバー2007.07.16

ここの場所を「夏だけ現れる自分のリビングルーム」と評したのは常連で後にメンバーとなる墨屋だった。多くの常連客が自分の生活の一部としてこの海の家を利用し、地域の価値を支えているという現状があるという。

公共空間で海が眺められて、ゆったりくつろぐことができ、多くの人に愛されているこの場所はわれわれの実験の先行事例としてはぴったりだろう。思った通り、村野さんがそのことをきちんと会場に説明してくれたことは、われわれとしてはよかった。多くの人が海の家にそんな意味があったのかと思ったはずである。

その場でやはり感じたのは、閉塞感がただよう水辺の状況をどうにもできない個々人の不満や、われわれのような観測気球的なイベントに対する期待であった。今後につなげて連携する事を誓って閉会した。

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