2005年12月21日、3ヶ月にわたって開催された横浜トリエンナーレは終了した。
国際貨物が国内に入る前に検査されるために保管される保税倉庫という、どこに属しているのかわからない場所で開催されたアートイベントは、強烈な印象を残してサーカスのようにどこかに消えていった。
われわれもLOB号を山下埠頭の反対側に曳航し、2006年をそこで迎える事にした。
メンバー(当時)とLOB号
解体するための見積もりは50万程度だったように記憶している。平行して船を係留できる場所を探してもらっていた。いくつか候補があがったが、どこも受け入れてくれなかった。
陸地からアクセスしやすい場所、イベントなどがやりやすい場所など、探してみると意外なほどない。あったとしても、橋をくぐれなかったり、了解してもらえる見込みがなかったり。
当時、運河ルネッサンス協議会という制度が東京でスタートしていた。
運河の利用方法について、民間の意見をとりまとめるための任意の組織で、芝浦、天王洲、朝潮などで活動を行っている。海外のまちづくりの事例における、コミュニティボードのような存在の組織で、ここでの議決を行政は判断基準として活かすものとしている。あたらしい取組みがおこりやすいように、市民の意見を集約するための組織であるともいえよう。
こういった取組みもあることで、どこかのまちに拾ってもらえると期待していたのかもしれない。しかし時間切れはすぐやってきた。新山下の係留場所は2月中には撤収しなければならなかった。
結局次善の策ではあるが、新木場の沖合に泊めさせてもらえる場所をいただいた。港湾工事業者さんのご好意である。
しかし、問題があった。沖合だと風強く、現状の農業用ビニールハウスだと係留できないと意見をいただいた。そこで、そのビニールハウスを撤去し、単管足場で仮設の屋根をもうけることとした。その工事に30万かかるが、我々全員で負担する事にした。さらに、係留するために月額4万かかるが、それも我々全員でワリカンで負担する事にした。
そこまですることにしたのは、いま係留する場所がなくても、運河ルネッサンスの盛り上がりや港湾オープン化の流れでいずれ係留できるようになり、LOB号が活躍する場がそのうちできるだろうという打算があったからだ。
屋根をかけかえたLOB号が横浜新山下を出航し新木場に向かうところ。
トリエンナーレスタッフが見送ってくれた
新山下沖合のLOB
羽田空港沖を航行するLOB
係留場所に到着したLOB号
一方、この航海で、あらたな魅力も発見する事となった。それは港湾の素の状態そのものの魅力である。あらゆるものが初めて見る光景で、新鮮だった。われわれは船から必死に見るものをカメラに収めて行った。
五部終